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甲府地方裁判所 昭和27年(わ)25号 判決

被告人 佐野定昌 外九名

主文

被告人佐野定昌を懲役七年に

被告人佐野正博を懲役三年六月に

被告人望月武夫を懲役三年六月に

被告人上杉常明を懲役二年に

被告人金孝東を懲役七年に

被告人宣俊植を懲役五年に

被告人望月昭二郎を懲役八年に

被告人藤本義久を懲役四年に

被告人青柳哲雄を懲役四年に

各処する

未決勾留日数中被告人佐野定昌、同佐野正博、同望月武夫、同上杉常明、同金孝東、同宣俊植、同藤本義久については各七十日を、被告人望月昭二郎、同青柳哲雄については各三十日をそれぞれ右各本刑に算入する。

被告人望月辰幸は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

第一、被告人佐野定昌、同佐野正博、同望月武夫、同上杉常明、同望月昭二郎はいずれも昭和二十九年に至つて合併により南巨摩郡中富町の一部となつた旧曙村(以下旧称を用いる。)に居住し、農業に従事するかたわら日本共産党員ないしはその同調者として、同村内において進歩的活動を続けて来たものであり、被告人藤本義久は昭和二十六年十月頃より、被告人青柳哲雄は翌二十七年三月頃より、被告人金孝東、同宣俊植は同年七月上旬頃よりそれぞれ日本共産党山村工作隊員として同村に入村していたものであるが、右曙村は山梨県の南西部身延町と鰍沢町のほぼ中間に位し、早川、富士川に囲まれた山岳地帯の南端部を占め、海抜約三百米の遅沢部落に始つて海抜千六百米余の富士見山に至るまでの斜面に点在する六箇の大字より成る一寒村で、耕地は狭隘で(村民の平均耕作反別四反七畝)地味に乏しく、村民の過半は斜面の田畑耕作のため苛酷な労働を強いられ、而もその合間に炭焼、山稼ぎ、土工などを兼ねて漸く糊口をしのぐ有様であるのに、ひとりその中にあつて同村矢細工百七十八番地に居住する佐野嘉盛は山林三十三町歩田畑一町二反歩余を有し、その富は村内随一と目されているものの、性精悍固陋で、古くは株式会社切石銀行の頭取の職に在つた昭和十四年頃同行の取引先である中富町(旧静川村)切石、呉服商大黒屋こと波木井彌重郎に対し、一方において経営難のため解散に瀕した自行の株式の購入方を勧奨し、他方においてその債権の取立にあたり債務額に数倍する物件の差押を強行して同人を倒産の止むなきに至らしめるなど、自己の債権の整理に際しては合法的とはいえ厳酷に過ぎると思われるような態度に終始し、近くは昭和二十六年に至つては村民の長年待ち望んでいた矢細工林道の開設計画が起るや自己の便益を図るため当初の計画を変更させようと策動したとか、平素自家の傭入人夫を低賃金で酷使しているとかの風説非難を招くなど、兎角その振舞には勢威を恃んで情誼をうとんじ、私欲を追及するような傾きがみられ、而も村内の革新的活動に対しては転向や入党避止の勧告を行うなどの反共運動をなしたりして、ことごとに反撥批判の態度を強く示していたところから、被告人等はかねてより右嘉盛こそは被告人等の標榜する村内民主化の企図を阻害するものであり上記企図を遂行するためには同人を指弾糾問する要があると考え、遂に同年七月十三日午後十時頃被告人佐野定昌、同佐野正博、同上杉常明、同望月昭二郎、同藤本義久、同青柳哲雄はその頃在村中の山村工作隊員等と大挙して右嘉盛を糾責すべく同家に押掛けたが、偶同人不在のため目的を達せずに引揚げるの止むなきに至り、そのため村内において共産党も大したことはないなどとの侮蔑的批判を受けるに及んで更に同人弾劾の実をあげるべくその機を窺つていたところ、同月二十八日折柄入村して来た山村工作隊の指導者石丸要等の呼集を受け、被告人佐野定昌、同佐野正博、同望月武夫、同金孝東、同宣俊植、同望月昭二郎は右石丸ほか数名の山村工作隊員と同夜午後十時頃同村矢細工地内矢細工公民館に集合し、前記七月十三日夜の不成功に省み、より効果的な方策について種々協議を遂げた末、この上は同月三十日夜多数共同して同人宅を襲撃し、家人に暴行脅迫を加え、右嘉盛を捕えた上半鐘を叩いて村民を動員し、大衆の面前で同人の年来の罪過を糾弾し、同人所有の米などを強奪して村民に分配し、棍棒、竹棒などを揮つて屋内を荒らし家財を損傷させるに如かずと謀議一決し、被告人上杉常明、同藤本義久、同青柳哲雄はその頃同村地内において右望月昭二郎等より前記襲撃決行の連絡を受け、各、右襲撃に参加して家人に暴行を加え同家の器物を損壊しようと決意し、被告人金孝東、同宣俊植等数名は同月二十九日夕被告人佐野定昌方で長さ三尺五、六寸経約八分の襲撃用棍棒数本を作製してその準備を整え、翌三十日午後九時頃被告人望月昭二郎は右嘉盛方を内偵して同人の在宅を確認し、ここに被告人等全員及び右石丸要ほか数名は同夜午後十時頃前記棍棒、竹棒、ロープ、藁繩、懐中電燈などを携えて嘉盛方邸内に侵入し、順次屋内に踏み入つて母家内奥十畳間に就寝していた右嘉盛(当時四十五才)表十畳間に就寝していた同人の妻美恵子(当時四十四才)姪荒井るみ子(当時十四才)甥荒井博之(当時九才)女中松下直江の姪鈴木よし子(当時十一才)に襲いかかり、右荒井るみ子、同博之、鈴木よし子の身体を棍棒、竹棒などで乱打し、因つて荒井るみ子に対し加療約二日を要する背部打撲傷、同博之に対し加療約二週間を要する右前額部割創及び皮下出血、鈴木よし子に対し加療約十日を要する右前額部及び右上眼瞼皮下出血の各傷害を負わせ、奥十畳間において右嘉盛に対し、「悪盛、神妙にしろ、逃げると殺すぞ」などと申し向けて脅迫し、棍棒、竹棒などを揮つて同人の右腕を殴りつけ、難を蚊帳内に避けた同人の臀部を突き飛ばし、止むなく戸外に遁走した同人を追跡して同家の東南方百米余を隔てた桑畑内に追い詰め、同人をその場に組み伏せ、棍棒、竹棒などで殴打し、因つて加療約三日を要する右前膊及び右臀部擦過傷、四肢伸側刺創等の傷害を負わせ、表十畳間において右美恵子の前額部などを棍棒などで乱打し、襟首をとらえて炉辺に引き出し、同所で押し倒し、殴打、足蹴を重ねた上ロープで緊縛し、更に同家庭前に引据えてなおも殴打足蹴を繰返し、因つて加療約二週間を要する右前額部割創及び全身打撲傷を負わせ、更に被告人等の一部は離家に押かけ、同所二階に就寝していた右松下直江(当時三十二才)を其の場より引き降ろし、母家六畳間に引き入れて藁繩で縛り上げ、右美恵子の附近に引据え、両名に対し「嘉盛が貧乏人から捲上げた金で貴様等が楽な生活をしている」などと悪罵をした上頭上に冷水を浴せかけ、更に棒を揮つて右直江の上半身などを殴りつけ、因つて同女に対し加療約四日を要する右肘関節打撲傷を負わせて上記嘉盛等家人の反抗を抑圧した上、同家南側土蔵内より右嘉盛所有の粳籾十四貫匁入一俵を同所より約四十米離れた同家北東佐野利久方野菜畑の石垣上まで担ぎ出してこれを強取し、剰え右母家及び離家の内外で棍棒、竹棒などを揮つて狼藉に及び、同人所有の硝子戸(硝子とも)五本、板硝子二十五枚、洋服箪笥一個、帯戸三本、金屏風半双、格子戸四本、障子二本、潜り障子戸一本、襖二本、電燈笠一個及び電球三個、ラジオ一台、仏壇一個、鶏卵三十個、壜入清酒二升の各器物を損壊したが、その際、

被告人佐野定昌は母家内に押入つて右嘉盛に対し、「悪盛神妙にしろ」などと申し向けて同人に脅迫を加え、被告人上杉常明とともに母家裏口の硝子戸二本を突倒し、七畳半の間に安置された仏壇を右手で引き倒し、更に奥十畳間に踏み込んで所携の竹棒で金屏風を突き刺し、中庭に出て石丸要と共同して右竹棒で離家の表硝子戸五本を突き破つて上記各器物を損壊するなどの所為をなし、

被告人佐野正博、同望月武夫は同家表庭及びその附近にあつて内外の見張に従事するなどの所為をなし、

被告人上杉常明は母家内に押入つて、被告人佐野定昌と共同して、母家裏口の硝子戸二本を突倒してこれを破壊するなどの所為をなし、

被告人金孝東は母家十畳間に踏入り矢庭に棒などで右佐野美恵子の前額部などを殴打し、更にほか一名と協力して同家南側土蔵内より前記粳籾一俵を同家北側石垣上まで担ぎ出してこれを強取するなどの所為をなし、

被告人宣俊植はほか一名と協力して離家二階に就寝していた右松下直江を引き降ろし、且つ縛り上げられて同家庭先に引き据えられた同女及び前記佐野美恵子の監視に従事するなどの所為をなし、

被告人望月昭二郎は母家内に押入つて、右嘉盛の所在を追い、同人に対し「逃げると殺すぞ」などと申し向けて脅迫し、危険を感じて屋外に逃走した同人を前記桑畑内まで追跡し、同所で組み伏せ且つ所携の棒でその身体を殴りつけるなどの所為をなし、

被告人藤本義久は、母家内に押入り、被告人望月昭二郎等とともに右嘉盛の所在を求め、身に迫る危害を避けるため屋外に逃走した同人を前記桑畑内まで追跡し、その場で同人に対し所携の竹棒を揮つて殴打するなどの所為をなし、

被告人青柳哲雄は母家内に押入り、所携の棒を揮つて表十畳間に就寝中の前記鈴木よし子の顏面を殴打するなどの所為をなした、

第二、被告人宣俊植は大韓民国に国籍を有する外国人であつて昭和二十五年一月当時は東京都目黒区駒場の東京大学教養学部の寮内に居住していたものであるが、同年一月施行の外国人登録書換に際し、所定の期限である同月三十一日及びその後今に至るまで、当時の居住地である東京都目黒区の区長に対し旧外国人登録証明書を返還し、あらたに同登録証明書の交付を申請しなかつたものである。

(証拠の標目)(略)

(検察官及び弁護人等の主張に対する判断)

検察官は判示第一の事実につき、被告人等は本件犯行の際、右嘉盛方母家仏壇上の硯箱抽斗内より同人保管に係る現金四千八百六十円をも強取したと主張するが、右事実認定のための資料としては「前記硯箱には最下段の抽斗に当時区長をしていたため預つていた区費四千八百六十円を、最上段の抽斗に個人所有の小銭を夫々保管しておいたが、右の内区費のみを盗まれた」旨の第三回公判調書中証人佐野嘉盛の供述記載及び同人の当公判廷での供述が存するのみであつて、該証拠は一件記録によつて肯認できる(一)被告人等が本件犯行に及んだのは単に私欲に出たものではなく、一旦奪取した粳籾一俵も来合せた数人の村民に対しその分配方を勧めたものの、これを受領しないので、前記石垣上に放置したまま引揚げたこと(二)本件犯行の全態様に照らして考えると、同一の硯箱中に保管されていた二種の金員の内前記区費のみを選び分けて盗取したとは到底認め難いことなどの事実に徴したやすく措信することができないところであつて、畢竟前記金員奪取の事実についての証拠は存しないものというべく、又、被告人上杉常明、同藤本義久、同青柳哲雄も第一の犯行に際し、財物奪取の犯意を以てこれに加功したと主張するが、一件記録によれば右被告人等が判示昭和二十七年七月二十八日の謀議の会合にいずれも出席しなかつたことは明らかで、その頃被告人望月昭二郎などから各々同家襲撃の連絡を受けたことは認められるものの、その連絡内容の詳細については不明であり、而も同人等も参加してなした判示七月十三日の件は財物盗取の意図に基ずかなかつたものと認められ、その上本件犯行に当つて奪取されたものは判示のように粳籾一俵のみであつて、被告人金孝東等が前記土蔵内よりこれを担ぎ出した現場及びその附近をその頃右被告人等が往来したと認めるに足る証拠もなく、又右土蔵は母家出入口より約十五米離れて居り、且つ暗夜のこととて右被告人等が前記金孝東等の犯行を認識し其の間互に意を通じ合えるような状況にあつたとも解されないので、上記被告人等三名については本件犯行に際し財物を奪取する意図を有しなかつたものと認めざるを得ない。

被告人上杉常明、同望月武夫、同金孝東及び弁護人林百郎は、被告人等が判示所為をなしたものであるとしても、それは前記佐野嘉盛が多年に亘つてなし続けて来た不正、飽くなき私欲追求、貧農に対する搾取、圧迫などに抗して社会の正義を防衛するために止むなくなした行為であつて、刑法上正当行為若しくは正当防衛又は緊急避難或いは期待可能性を欠く場合として、犯罪の成立は阻却されるべきである旨主張するが、たとえ被告人等の判示所為が所論のような動機縁由に由来したとしても、これを目して直に上記主張のような場合に該当するものとは到底解し得ないから、右主張は採用しない。

(法令の適用)

被告人佐野定昌、同佐野正博、同望月武夫、同金孝東、同望月昭二郎の判示第一の所為中住居侵入の点は、刑法第百三十条、第六十条罰金等臨時措置法第二条、第三条に、各強盗傷人の点は刑法第二百四十条前段第六十条に、多数共同して器物を損壊した点は暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項罰金等臨時措置法第二条、第三条に各該当し、右住居侵入と各強盗傷人及び暴力行為等処罰に関する法律違反とはそれぞれ手段結果の関係にあるから、刑法第五十四条第一項後段第十条に従い、最も重い判示佐野嘉盛に対する強盗傷人罪の刑により、なお被告人佐野正博、同望月武夫については犯罪の情状憫諒すべきものがあるので同法第六十六条第七十一条第六十八条第三号を適用して酌量減軽を施した上、夫々の刑期範囲内で被告人佐野定昌を懲役七年に、同佐野正博及び望月武夫を各懲役三年六月に、同金孝東を懲役七年に、同望月昭二郎を懲役八年に各処し、

被告人宣俊植の判示第一の所為中住居侵入の点は刑法第百三十条、第六十条罰金等臨時措置法第二条第三条に、各強盗傷人の点は刑法第二百四十条前段第六十条に、多数共同して器物を損壊した点は暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項に、判示第二の外国人登録令違反の点は同令附則第二項、第五項第一号(昭和二十四年政令第三百八十一号)外国人登録法附則第三項罰金等臨時措置法第二条に各該当し、右住居侵入と各強盗傷人及び暴力行為等処罰に関する法律違反とはそれぞれ手段結果の関係にあるから刑法第五十四条第一項後段第十条に従い最も重い判示佐野嘉盛に対する強盗傷人罪の刑によるべく、右と第二の罪とは同法第四十五条前段の併合罪であるから、夫々について有期懲役刑を選択の上同法第四十七条第十条により犯情の最も重い右嘉盛に対する強盗傷人罪の刑に同法第十四条の制限に従い法定の加重をなし、なおその犯情を酌んで同法第六十六条第七十一条第六十八条第三号に則り酌量減軽した刑期範囲内で、被告人宣俊植を懲役五年に処し、

被告人上杉常明、同藤本義久、同青柳哲雄の判示第一の所為中住居侵入の点は刑法第百三十条第六十条罰金等臨時措置法第二条第三条に各強盗傷人の点は刑法第二百四十条前段第六十条に、多数共同して器物を損壊した点は暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項罰金等臨時措置法第二条第三条に各該当するが、右強盗傷人の点は爾余の被告人等が財物を強奪することを知らず単に暴行をなすものと誤認して為したものであるから、刑法第三十八条第二項に則り同法第二百四条罰金等臨時措置法第二条第三条により処断すべく、上記住居侵入とその余の各所為との間にはそれぞれ手段結果の関係があるから、同法第五十四条第一項後段第十条により最も重い判示佐野美恵子に対する傷害罪の刑に従い、所定刑中懲役刑を選択した上その刑期範囲内で被告人上杉常明を懲役二年に、同藤本義久及び青柳哲雄をそれぞれ懲役四年に各処し、更に同法第二十一条に則り未決勾留日数中各七十日を被告人佐野定昌、同佐野正博、同望月武夫、同上杉常明、同金孝東、同宣俊植、同藤本義久の右各本刑に、同じく各三十日を被告人望月昭二郎、同青柳哲雄の右各本刑にそれぞれ算入し、訴訟費用の負担については刑事訴訟法第百八十一条第一項但書により、各被告人につきその全部を負担させないこととする。

(無罪の理由)

被告人望月辰幸に対する公訴事実の要旨は、同被告人も有罪と認定された前記被告人等と共謀の上判示第一の犯行に参加し、右佐野嘉盛方母家内で被告人上杉常明の指示を受け、樫棒を揮い電燈二個を叩き消して電球二個を破壊したものであるというのであつて、右事実認定のための証拠としては「同被告人は前記七月三十日午後十時半頃までに屋内に侵入して来た最後(第四段目)の三人の中に居つて、被告人上杉常明の電燈を消せという指示に従つて七畳半の間の電燈を棒で叩き壊した」旨の第三、四回公判調書中証人佐野嘉盛の供述記載及び第五回公判調書中証人佐野美恵子の供述記載が存在する。

ところが証人佐野直盛、同川崎文平、同望月マキ、同川崎テル江、同佐野千恵、同中きん子の各供述、及び当裁判所の証人遠藤良彦に対する尋問調書を綜合すると、被告人望月辰幸は前記七月三十日朝その頃従事していた附近山林の材木運搬の仕事に取かかる際、右眼を木の小枝で突いて負傷し、その治療を受けるため旧原村飯富の湯本医院(院主湯本義香)に赴くべく同夜午後八時半過自家を発ち、途中遠藤良彦より隣人中茂所有の自転車(黄色)を借受け、午後八時半頃上記医院において診察を受け、(証人湯本義香、同秋山悦子は更新前の第九回公判廷において当夜午後八時頃望月辰幸と名乗る者が、山で眼を木にはねられ痛むから診て欲しいといつて来院し、同人を診察したことはあるが、同人と被告人望月辰幸とは同一人ではない旨の供述をしているが、同日のカルテに同被告人の氏名が記載されていること及び右来院者が乗つて来た自転車が黄色であることは右証人等も自認するところであり、而も二人が同一の日に同じ部位の負傷を受け、一方が他方の名を騙つて診察を受けるというようなことは交際範囲の狭い僻村においては通常考えられないことであり、その他右被告人の反対尋問に対する両証人の供述態度などに照し上記両証人の供述中右被告人は来院しなかつた旨の供述部分は措信できない)帰途旧曙村三ツ石部落の前記佐野直盛方に立寄つて暫らく仕事に出ない旨の連絡をなした後同夜午後十時過前記中方に右自転車を返還したことが認められ、更に一件記録によれば(一)同被告人の居住する遅沢部落より右嘉盛宅の存する矢畑工部落までは通常徒歩で約一時間を要し、前示の如く眼の不自由な同被告人が前記中方を辞去した後暗夜坂道を登つて前示被害者等の供述する午後十時半頃までに嘉盛方に到着することは不可能又は著しく困難であると認められること。(二)被告人佐野定昌は取調官憲に対し、村内存在の他の共犯者の犯行については逐一詳細に述べているにもかかわらず同被告人の犯行に関する供述は全くなく、殊更に同被告人の犯行に関する供述を避けたと考えるべき相当な理由も認められないこと。(三)被告人望月辰幸は夙に日本共産党に入党し村内の進歩的分子として積極的な活動をなし、判示七月十三日の件に際してもその主動的役割を果し、そのため平素佐野嘉盛より強い反感を抱かれていたものと思われること。(四)同被告人は逮捕された当初より終始一貫自分は当日右眼を負傷し、その診察を受けるため湯本医院に赴き、同夜午後十時過帰宅したもので本件犯行には加功していない旨を述べ、右の陳述はその陳述態度、自己の関係証人に対する反対尋問例えば前記証人湯本義香に対し、「あなたは寝巻のようなもの(同証人は浴衣を着用を着て診察室に入つて来たのではないか」「診察後自分は眼帯の問題について質問しなかつたか」「自分が証人方に行つたとき、待合室の電燈がどうなつていたか知つているか」「あなたは自宅治療の方法を指図しなかつたか」などと、又右証人秋山悦子に対し、「薬は窓口のそばで調合したのですね」「代金は待合室であげましたが、その点はどうですか」などと体験なくしては到底なし得ないような発問を試みた態度などに照し、信を措くに足りると考えられること等の事実を肯認することができ、これらの事実と前記佐野嘉盛、同美恵子の各供述記載を対照すると、右両証拠の証明力はたやすくこれを肯定することができず、他に前記公訴事実を認めるに足りる証拠も存しないので、結局被告人望月辰幸に対しては犯罪の証明がないものとして、刑事訴訟法第三百三十六条に従い、無罪の言渡をなすべきである。よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 小田切恒次郎 鈴木潔 林正行)

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